「#団塊介護」モンダイ 加速化する介護のシステム崩壊
#団塊介護モンダイとは?
介護の現場が恐れていた時代が、いよいよ目前に迫ってきた。日本の人口のふたつのボリュームゾーンである、「団塊世代」と、「団塊ジュニア世代」がやってくるのだ。それは介護の現場にとって、そして、彼らに続く世代にとって何を意味するのか? そのモンダイを紐解く。
1. 親は団塊世代、子は団塊ジュニア世代のモンダイとは?│介護の主役が“声を上げる世代”に交代。親子そろって主張型の構図が現場に波紋を広げている。
2. モノ言う介護利用者の増大│権利意識の高い団塊世代が主流になり、現場がこれまでとは異なる家族対応を迫られる。
3. カスハラによる現場の疲弊│利用者と家族両方から過剰な要求の増加。介護従事者の離職を招きかねない要因になっている。
4. 現場拒否からの介護の危機│対応困難な利用者・家族を施設が受け入れられない「介護拒否」が拡大すれば、介護難民の増加を招く恐れも。
5. そして2040年、介護者がいなくなる?│団塊ジュニア世代以降も“モノ言う世代”が控えている。少子高齢化と介護離職のダブルで、需要と供給のギャップが最大化する懸念がある。
いま、介護現場が戦々恐々としていることがある。後期高齢者の利用者が団塊世代に突入、介護者がその子どもの団塊ジュニア世代と属性がガラリと変わってくるからだ。これまでの主な利用者は戦中~戦後直後世代で、一般的に「我慢強い」や「世間体を重んじる」傾向が強く、主にモンダイになるのは頑固さや子どもに迷惑をかけたくないゆえのズレであった。しかし、今後は学生運動で「大きな声」をあげていた団塊世代、自分を通すため「個人の声」をあげる団塊ジュニア世代と、手法は異なるが社会に物申すマインドが強い人たちになる。2042年ごろに迎える高齢化社会ピークを前に、利用者の“声”による介護現場の崩壊が待っている?
介護をめぐる、ふたつの“山”
日本の人口ピラミッドは、地層の隆起のような山がある。団塊世代(1947年~1949年生まれ)の約800万人と団塊ジュニア世代(1971年~1974年生まれ)の約700万人という、ふたつの大きな“山”。グラフで見ると、ほかの世代との差は歴然だ。

いま、そのふたつの山が介護の局面で向かい合いはじめている。団塊世代は76~78歳となり、介護を受ける立場に差しかかってきた。一方、親の介護を支えるキーパーソンや介護者は51~54歳の団塊ジュニアだ。団塊の世代は学生運動、団塊ジュニア世代の子育て時代は2008年にドラマ化がされ広く認知された造語・モンスターペアレントに重なる。社会に物申す気質が強い世代が「介護をめぐる当事者」として、同時期に現場へ登場しつつあるのだ。
両世代とも人口が多いため、受験や就職など競争の洗礼を受けてきた。団塊世代は高度成長期を体感し、企業戦士として働き詰めて仕事での成功体験が多い。団塊ジュニア世代はバブル崩壊を経験し、大学卒業組は就職氷河期(いわゆるロスジェネ世代)をくぐり抜け、格差社会を生き抜いてきた。社会のシステム転換期を乗り越えてきただけに、権利意識が強く、要求を遠慮なく言いがちなタイプである。おかげで、これまでの介護現場とは異なる状況を生みそうなのだ。

1994年に65歳以上の高齢者の割合が人口の14%を超えて以降、介護需要は増えたが、主な利用者は戦中~戦後直後世代。頑固さや子どもに迷惑をかけたくない、他人の手を煩わせたくないなどの利用者の心情をいかに汲みとり介護につなげ、介護者側の負担を減らすかが課題になっていた。
しかし、最近は、現場から「バリバリ働いていた世代の介護が不安」の声があがっている。介護職従事者による利用者への暴力はニュースになるため目立ちやすいが、他方で介護関係者の不安と比例するように職場のグチや限界を伝える声がSNSで発信され共感のコメントも多い。職場の話を公にする是非は別として、疲弊する現場の様子の一端がネットにあふれ出している。
現場は“団塊介護”に戦々恐々
父親のがん発症で在宅介護と看取り、母親の在宅介護の最中の筆者は、50代突入と同時に急転直下で介護のキーパーソンへ。戦中世代の母親は、足元がおぼつかないのに歩行器利用を拒否したりヘルパーが家に入るのを嫌がったりの“頑固”である。親は団塊世代より上だが自身は団塊ジュニア世代になる筆者の介護ライフは、まず地域支援包括センターの相談からはじまり、ケアマネジャー、在宅医療ほか介護関連事業従事者と連携する日々。そこで、何気ない会話で苦笑まじりが気になったひと言が、前述の「バリバリ働いていた世代を介護する不安」だ。
まず、これまでの世代の現場と明らかに異なるのは、介護各種の契約時だという。都内在住の介護職歴25年のベテラン介護従事者に聞いた。
「用語がわからないという質問や疑問ではなく、利用契約時書類の用語や様式が違うと指摘されることがよくあります。書類は公的機関のひな型を元に各事業所が作成しているので、ご自身の会社の書式と異なる点を責められても……」
書類の訂正は自身の職場だけでして欲しい、というのが現場の本音だろう。さらにもっと深刻なのは、利用者の怪我だ。
「法的に持ち込もうとしがちなんです。施設の場合は入居や利用時に“自宅とは異なる”と明言している場合も多いのですが、それでも転倒時は責任問題をにおわせます。さらに深刻なのは在宅介護に入るヘルパー。利用者が自分で転倒しても第三者の目がないため、責任を追求されると非常に立場が弱いんです。これらのことは、少し上世代ではほとんどなかったことで、この10年ほどで徐々に増えてきました」
実際のケースでは、こんなことがある。やや体の動きが不自由な利用者が食事中に椅子から滑り落ちた時に当たった隣席の利用者が、太ももに怪我をした。隣席の利用者の子どもは施設の責任を追求していたが、やがて「こんな施設を紹介するケアマネが悪い」理論を展開。ケアマネの所属事業所が仲介に入り、利用者と子どもをなだめたことで軟着地したが、謝罪や善後策の提案に不満で、納得するまで矛先を次々と変えるようでは、介護・福祉関係者と利用者との溝が深まる一方である。 団塊世代が親の介護のキーパーソンになってから、このような事例は目立つようになったという。物言う介護家族から、物言う利用者へ。続いて、モンスターペアレントの実績がある団塊ジュニア世代が親の介護の入口に立つ。
人口の“山”は社会問題のトリガー
今年、2025年は団塊の世代が全員後期高齢者となり、医療・介護需要の急増と人手不足、介護報酬引き下げによる事業所の閉所、社会保障費の増大など大きな影響を及ぼすことから「2025年問題」と指摘されてきた。ハード・ソフト面ともに難局を迎えるところに、現役時代同様の言動で介護を受ける団塊世代、介護のキーパーソンは不当なまでの自己中心的な要求をする団塊ジュニア世代という介護家族対応の難しさが加わったら、どうなるのだろうか?
前出の介護従事者に質問をすると、「心配です」と答えが返ってきた。
「これまで見ている団塊世代の言動から、まずは身体の衰えにより“できなくなったことを認められるか?”を、心配しています。自分ができなくなったことを素直に認めるのは、誰しも葛藤があります。その感情に寄り添うことはできますが、利用者ができないイライラを介護士やヘルパーにぶつけてしまうと、人間なのでやはり限界があります。スタッフは担当をしたがらなくなりますし、施設なら退所せざるを得ない場合もあります。負のループに陥って、結局、利用者自身や家族が不利益を被ることになると思うんです」
遠慮なく物言う団塊世代、少子高齢化により減っていく介護関連の人的リソース。外部の手を借りれなくなった家庭内での介護は、子どもの負担増である。その子どもが団塊ジュニア世代の場合は、かつて教育現場でモンスターペアレントと評され、学校崩壊につながる教師の疲弊を招いた。こちらもまた、物言う世代。“口うるさい”利用者とキーパーソンに挟まれたら、果たして介護の現場は耐えられるのか?

こうした現場の不安に加え、数字からも介護需要の増大と人材不足のギャップは明らかだ。そして、団塊ジュニア世代が後期高齢者になり介護をされる側になるのは2040年代半ばだ。団塊世代と団塊ジュニア世代の前後に位置する新人類世代からミレニアル世代は、呼び名こそ細かく分かれるが、いずれもまた“声をあげる”ことが時代の空気だった。次々と要求が当たり前の世代が控えている。モンスターケアラーがやがてモンスターシニアになる世代交代が起きて、それが親から子への世代間リレーとなったら、介護の未来はどうなるのか?
団塊介護クライシスは、介護現場だけの問題ではない。一人ひとりがどう“声”を上げ、受け止めるのか。いまから問われているのかもしれない。