医療体制を揺るがす「#外見選好バイアス」モンダイ
#外見選好(がいけんせんこう)バイアスモンダイとは?
「ルッキズム」という言葉が広まり、露骨な外見差別は影を潜めた。しかし、人々の無意識下には「外見で人を測る視線」が未だ残り続けている。それが外見選好バイアスだ。表立って言われることはないステルス性の高い外見選好バイアスは、SNSやマッチングアプリ、就職市場で見えない圧力となり、美容医療の市場拡大を助長している。しかし、その行き着く先に待つのは、医療体制の歪みという予期せぬ問題だった。
1. 外見選好バイアスの蔓延│外見に対する直接的な評価が控えられる風潮の中でも、人々の無意識下に外見で人を判断する傾向は根強く残っている。
2. セルフイメージの上書き│SNSや加工フィルターなどを通じて、理想の自分の姿を何度も提示することで、現実の自分のイメージが理想に引き寄せられる現象が起きる。
3. 様々な市場における外見選好│就職活動やマッチングアプリを始め、外見が有利に働く場面が多く、社会的・経済的なインセンティブとして外見の重要性が強化される。
4. 美容医療の需要と供給の増加│外見への関心の高まりと技術の進歩により、美容医療の市場規模・施術件数が拡大している。
5. 「直美」(ちょくび/編集部注)の増加による医療体制への負の影響│美容医療の需要急増に伴い、経験の浅い医師が流入し、施術の安全確保が難しくなる。また、人的リソースの偏りにより医療体制全体のバランスが崩れるおそれもある。
ルッキズム批判が広がる一方で、人々の無意識下には外見で人を評価する「外見選好バイアス」が根強く残っている。SNSやマッチングアプリ、就職活動といった場面で外見が優位に働く現実は、美容医療を「自己投資」として合理化し、市場を急拡大させている。その波に乗り、初期研修のみで美容医療に進む若手医師「直美」が増加。経験不足による医療事故リスクや、保険診療分野の人材不足といった副作用が懸念されている。美容医療の拡大は個人の自由にとどまらず、医療体制全体を揺るがす社会的課題へと転じつつあるのだ。
注)直美…初期臨床研修を終えた直後に、形成外科などの基本診療科を経験せず、美容医療へ直接進む若手医師を指す俗称。語源は「直ぐに美容整形に進む」からきており、未経験のまま美容分野に参入する医師を象徴する呼び方として用いられる。
ルッキズム批判をよそに広がる「外見選好バイアス」と美容医療
強まるルッキズム(見た目による差別)への批判とは裏腹に、人々の中には外見を無意識に評価する「外見選好バイアス」が根強く残っている。外見を重視する価値観はかえって静かに広がり、個人の選択を左右するのである。
それを象徴するように、美容医療市場は右肩上がりで拡大している。例えば、厚生労働省の調査によれば、国内の美容外科手術件数はこの10年で増加傾向を示しており、その市場規模は2023年に約5,940億円に達したという。医療施設調査では、美容外科を標榜する診療所数が2020年からの3年で約43.6%増と、供給側も急増していることが分かる。

※外科的手技:「顔面、頭部」(眉毛挙上、耳介形成等)、「乳房」(乳房異物除去、乳房挙上等)、「躯幹、四肢の形成外科」(腹壁形成、ヒップリフト等 )※非外科的手技:「注入剤」(ボツリヌス菌毒素、ヒアルロン酸等)、「顔面若返り」(ケミカルピール、光若返り等)、「その他」(脱毛、硬化療法等)
厚生労働省が公開する全国美容医療実態調査によると、美容施術数はコロナが流行した2020年に需要が一時的に減少するも、皮膚再生や注入剤(ヒアルロン酸など薬剤を皮膚に注射する施術。プチ整形)を中心に再び大幅な上昇傾向にあることがわかる。こうした数字が物語るのは、外見への無意識の圧力が現実の市場行動に結びついているという事実だ。
美容医療はもはや「特殊な行為」ではなく「身近な選択肢」のひとつになりつつある。外見選好バイアスは、露骨な差別行為を伴わずに、「無自覚に外見を尺度とする前提」を作り、結果的に美容整形の需要を後押しする。
外見選好バイアスが合理化されるプロセス
スマートフォン世代に広がる写真加工フィルターやAIエフェクトは、「理想化された自分」を日常的に可視化し、セルフイメージを上書きしていく。SNSに加工された“理想の自分”を投稿し、他者から多くの好反応を得るほど、その理想像は自分の中で強く定着していく。そして、現実の自分と理想像との乖離が意識化されると、その差を埋めようとする動機が、美容整形へと向かわせる。
こうした外見への自己投資意識は、労働市場やマッチングアプリといった競争的な場面での「外見選好」とも結びつく。採用選考や出会いにおいて見た目が優位に働く実態は、研究によっても確認されており、「見た目をより美しくすること」はキャリア戦略や交際戦略の一部として正当化されやすい。
その結果、美容施術は自己改善の合理的選択とみなされ、需要を拡大しているのだ。
「直美」の増加がはらむ医療問題
こうした需要増と市場拡大に呼応して、若手医師や開業希望者が、保険診療では得られない高額報酬や自由度を求めて美容医療に流れる動きが出ている。下の図は、2008年の医療施設従事医師数を1としたときの、2022年までの増加率を示す。医師全体の増加推移と比較して、美容外科が大幅にその人数を増やしていることが分かる。

※ 美容医療に関連する業務に従事する医師として、診療所に勤務する医師のうち、複数の診療科に従事している場合の主として従事する診療科と、 1診療科のみに従事している場合の診療科として「美容外科」「形成外科」「皮膚科」と回答したものを集計。※ グラフの「医師数」は、診療所に勤務する医師の合計。
問題は、参入者の経験や研修にばらつきがある点だ。初期研修のみで基幹診療科を経験せず、美容医療に参入する若手医師、通称『直美』の増加は複数のリスクをはらむ。
厚生労働省の検討会報告では、無診察治療や無資格施術、インフォームドコンセント不足、カルテ不記載などの不適切事例が指摘されている。これは、供給側の人材育成や教育を中心にした品質管理が追いついていないことを示す重大なシグナルだ。違法・グレー事例の監視は難しく、事後の回復や救済も十分とはいえない。また、形成外科経験が浅い場合、術中・術後の判断や合併症対応が遅れる恐れがある。
さらに、美容医療への若手医師の流入は、保険診療分野の医師不足や医療資源の偏在を助長し、必要な医療を提供できる体制の確保に支障をきたす可能性も指摘される。
ステルス化した外見選好が医療を歪める
外見選好バイアスは、本人の意識にのぼりにくく、判断に影響していることに気づきにくいだろう。いわば“ステルス性の高いバイアス”であり、医療体験ではその無自覚さが露呈しやすい。
美容医療の拡大は個人の自由な選択である一方、社会全体にとっては「医療資源の偏在」や「安全性リスク」として跳ね返ってくる。外見選好バイアスという見えにくい力が放置されれば、美容医療はますます「合理的な選択」として広がり、医療体制の基盤を揺るがしかねない。
ステルスバイアスそのものを消すことは難しいが、その影響を社会的問題として扱うことで、安易な美容医療の選択や経験不足の医師参入を抑えることはできる。消費者・社会側では、SNSや美容情報で無意識に強まる外見選好バイアスの存在を明確に示し、施術のリスクや必要性を正しく理解したうえで判断できる環境を整えることが必要だ。そして医師側の参入抑制では、研修要件の明確化や合併症対応体制の義務化によって、安全性を確保することが求められる。 美容医療の市場拡大は、「医療の持続可能性」を左右する公共的課題として扱うべき段階に入ったのではないだろうか。