「#セルフプロデュース格差」モンダイ
#セルフプロデュース格差モンダイとは?
同じ商品を出しても、同じサービスを提供しても、「発信の上手さ」で売上や人気が大きく変わってしまう時代。SNSの“セルフプロデュース力”が、仕事やキャリア、さらには人生の選択肢までをも左右している現実を指す。SNSは単なる発信ツールではなく、もはや「生存戦略」のインフラとなっている。
1.セルフプロデュース格差│たとえば飲食店でも、味より「映え」や「発信力」で差がつく。SNSを使いこなす人とそうでない人の間に、売上や集客の格差が生じている。
2.仕事やキャリアにおけるSNSの立ち位置│履歴書よりも、SNSのフォロワー数が信頼の証になりつつある現代。SNSは自己表現の場から「実績の証明書」に変化した。
3.知名度が収入に直結する不公平感│実力や経験よりも、注目度の高さが収入を左右する。特に若手クリエイターや飲食業では「認知格差=経済格差」になっている。
4.自己プロデュースが苦手な人の心理│自己アピールが苦手な人ほど、「発信しなければ不利になる」というプレッシャーに追い詰められやすい。
5.セルフプロデュース格差がもたらす影響│個人間の競争を過熱させ、過剰な自己演出や精神的疲弊を加速させる恐れがある。
現代は、評価に自己プロデュース力が直結する時代だ。どれだけ質の高い商品やサービスでも、SNSで発信しなければ認知されず、利益を得る機会を逃してしまう。ここに「良いものは自然に売れる」という考えは通用しない。
飲食店から研究者、弁護士、医師に至るまで、発信力のある者は成功し、苦手な者は損をする。能力や努力ではなく、見せ方が人生を左右する現実と、どう向き合うべきか。
SNSは避けて通れない
同じ地域に小さなカフェが2つあるとする。片方は、毎朝Instagramで丁寧に投稿を続ける。まるで雑誌の1ページのような店内写真や心地よいBGM付きの短いリール動画、季節ごとの限定メニューなどの投稿だ。もう片方は、昔ながらのやり方を貫き、常連客だけを頼りに営業している。どちらも味は確か。けれど現代では、SNSの発信力が「味」や「品質」よりも優先され、両者の間に大きな収益格差が生まれてしまう可能性があるのだ。
飲食店リサーチによれば、飲食店のSNS活用率は9割を超える。最も利用数が多いのはInstagramで、SNSから得られる効果については、認知向上や客足の増加を実感している店舗が多いとの結果も得られている。また、株式会社ファンくるの消費者意識調査によると、全世代の消費者の8割以上が、SNS投稿をきっかけに飲食店を訪れた経験があるという。


「いいものをつくれば、自然と伝わる」——かつては通用したこの信念が、すでに現実との間に深い溝を生んでいる。いまや「いいものをつくること」と「それをうまく伝えること」は、まったく別のスキルなのだ。そして、この“伝える力”の差が、個人や企業の命運を分ける。飲食店に限らず、ヘアスタイリストやネイリストなど美容系、アーティスト、カメラマン、ライターなどのフリーランスと、どんな職種でも、SNSをどう使いこなすかが評価や収入に直結している。
キャリアもSNSで可視化される時代
就職活動や営業、転職の場面でも、SNSが「履歴書の裏面」のごとく扱われるようになった。採用担当者が応募者のアカウントをチェックし、発信のセンスや人となりを判断することは珍しくない。
一方で、SNSに慣れていない人は、自分をうまく表現できずに損をする。特にサービス業やクリエイティブ職では、「知られていること」それ自体が、信用や価値の証になりつつある。「フォロワー数=影響力=商談の得やすさ」という方程式が、いつの間にか常識になってしまった。発信力の高いインフルエンサーが、仕事や収入の機会を得やすくなっているのがその典型だ。
しかし、その仕組みは本来の「実力主義」とは異なる。たとえ努力しても、GoogleやInstagramのアルゴリズムに気に入られなければ埋もれ、派手な発信が上手い人に注目を奪われる。こうして「実力よりも見せ方が勝つ」という不公平感が、社会全体に広がっている。その結果、「目立てる人」と「目立てない人」の間に、じわじわと「セルフプロデュース格差」が浸透していくのである。
セルフプロデュース格差がもたらす負の影響
こういったセルフプロデュース格差の影響を最も強く受けるのは、消費者向けビジネスを手掛ける企業や個人事業主、将来独立を目指す会社員、自分の専門性やスキルを世の中に示す必要がある人たちだ。
しかし当然ながら、全員がSNS発信に向いているわけではない。「毎日投稿しなければ」「バズりたい」と焦るほど、発信そのものが苦痛になる人も多い。特に、真面目で内省的な人ほど、自分をどう見せればいいのかがわからず、自己アピールに罪悪感を抱いてしまうことさえある。
SNSでは、“控えめな美徳”が評価されにくい。努力をアピールできない人ほど、何もしていないと誤解されてしまう。その結果、「発信しないと仕事が来ない」「存在していないことになる」という恐怖が、彼らを追い詰める。
問題は経済的格差だけではない。社会全体の価値観が「影響力がある人が優れている」という方向に傾けば、本質的な努力よりも、目立つための行動が優先されるだろう。
さらに「発信疲れ」も、深刻な問題である。SNSでの存在感を維持するために、見せ続けることを強いられ、燃え尽きやメンタル不調を招くケースも増えている。実際、厚生労働省の科学研究費補助金による研究報告書では、SNSおよびデジタル端末の長時間・過度な使用と、うつや睡眠障害、依存傾向などメンタルヘルスの悪影響との関連が指摘されている。
こうした状況は、個人にとっても社会にとっても、持続可能とはいえない。
本当の「セルフプロデュース」
本来、「自分をどう見せるか」よりも、「どう生きるか」の方が重大な問題だったはずだ。しかし、SNSがセルフイメージを映す鏡となった今、私たちは知らず知らずのうちに、人生の主導権を他人に委ねてしまっているのではないか。
私たちはどちらを選ぶべきだろう。「どう見られたいか」という他者基準で行動を最適化するのか。それとも、「何を大切にしたいか」という自己基準で生き方を決めるのか。その境界線は、SNS時代を生きる人々の心を大きく揺らしている。
発信が得意な人も、苦手な人も、本来の価値は等しい。だからこそ、数字やアルゴリズムに振り回されない「本質的な評価軸」を取り戻す必要がある。 セルフプロデュース格差モンダイは、SNSの話にとどまらない。それは、「他人のまなざしではなく、自分の手に人生の舵を取り戻せるか」という、あなた自身への問いなのだ。